nao's 思考整理ログ

エンジニアとしての成長メモ

【ひきこもり経験者が語る】安心してください。あなたの『社会から外れたい!ひきこもりたい』は正常です

ひきこもることは正常。親は正そうとするからダメ。

これは一応まだ親の経済力に甘んじていられる学生や若いうちにしかできない唯一かつ最高の解決方法になりうることであると考えている。

 

周囲の人は一度でも引きこもることを悪いことかのように捉えてしまう人が多い。これは非常に残念なことである。

人の行動にはなんらかの合理的な原因や根拠があるから、もしかしたら私たちの固定観念が邪魔をしていて、本当の解決方法から私たちを遠ざけてしまっている可能性がたくさんある。これに気づいて助言してくれている人はどれほどいるのだろうか?

 

もし、私たちに対して口うるさくしつけや叱咤をしてくる人がいたとしたら、よく考えたほうがいい。その人たちは本当に自分のことを考えてくれているのだろうか?と。

 

本当に自分のことを考えてくれているのであれば、自分で考えさせて、自分で解決して、納得してから自分で修正を加えることを望むはずである。

 

そうもさせてはくれず、何かにつけて怒ってくる人や、しつけだと言って、変な助言をしてくる人がいたら、即刻そこから離れたほうがいい。

 

 

ひきこもりが、どうしてひきこもるか。

これは、周囲に理解者がいないと感じていることが多くの原因であること。そして、自分が自分を理解したいがそれができなくなっている現状があるために、現在とるべき行動が、周囲に混じって社会活動や経済活動をとることではなくて、心を見つめなおすことだと体が反応しているからである。

 

体の反応は絶対的にいつも正しい。

その反応に従うことが最も合理的な方法なのである。

体がそういうふうに欲しているからこそ、その通りに行動することが望ましいのであって、理屈はあとからつけることができる。

 

人間はいつでも失敗をする生き物である。

親がいつでも第一の理解者であるわけがないし、もちろん100%理解を期待してもいいことはないだろう。

自分のことを100%理解してくれるのは親でもなく、友達でもなく、先生でもない。

ましてや、会社や政府など、真逆のことをしてくることもあるだろう。

 

そう、自分の100%の理解者は自分しかいないのだ。

 

体がそう欲しているのであるならば、そのように動いてあげたらいいじゃないか。

そして、十分に理解してあげられたうえで、またやり直したらいい。

 

家族が理解してくれない場合は

もちろん、人というのは経歴を気にする生き物であることは間違いない。

なぜなら、会社や社会がそう短絡的に判断している現実があるからである。

会社は一度でも引きこもったことがあるような人を採用したくないと考えるだろう。それはわかる。もしかしたらまたそうなってしまう可能性がなくもないなと考えることが合理的な判断であるからである。一度起こったことは再びあるかもしれないという判断は誰もがすることである。

 

しかし、果たして会社のその判断は正しいのであろうか?

 

人は一度でも過ちを犯したら、もはや正常に戻ることができないと考えがちであるが、絶対にそんなことがあるわけがない。これは断言できる。

というか、人は何をもって失敗とみなすのであろうか?

三者から見て失敗という判断をされてしまうからといって、本当にそれが失敗だと判断してはいけない。

むしろ、どうしてそういう結果になったか?が具体的な経験に裏付けられた経緯を知らないような第三者が、どうして他の人の人生を勝手に評価できるのだろうか?

所詮、自分以外の人間が自分の経験など知らないで、結果だけを見て自分勝手にもそう判定を下しているに過ぎないのである。

 

自分の感覚を大切にしましょう。

心地がいいと感じることを最優先していくしかない。

自分が心地がいいこと、あるいは、こうしているとものすごく楽しいとか、そういう感情を持つことを最優先している人というのは、とても充実している。

 

しかし、これを叩いてくる人がいるのが現実である。

 

どうして人は人が楽しそうにしていることを不快に感じ、叩く傾向にあるのだろうか?

もちろん、本能的に不快を感じるからではあるが、しかし、それが本当に自分にとって正解であることがあるのだろうか?

 

倫理的、道徳的に反しているから、という理由で叩く人や、法律的に反しているから叩く人、あるいは、自分の信条や常識に反しているから叩く人、皆それぞれであることは確かである。

よく芸能人が不倫報道などで叩かれていることがある。

しかし、それはどうして叩かれるのだろうか?

倫理的に反しているから?

ではどうして、そう感じるのか?

相手のパートナーを苦しめるからだろうか?

だったら、そのパートナーが納得する方法で解決ができたら、もうそれで万事が解決しているはずであろう。

どうして第三者が叩くのか?

たいていは、倫理的に反しているから、モラルに反するからという答えが出てくるだろうが、それでは思考停止している。

 

人は、自分が設けたルールをいとも簡単に破っている人を見かけると、とても憤慨を感じるらしい。

だから、まじめな人が多い日本では、自らをルールや常識、モラルやなんとなくよくなさそうという理由でがんじがらめにしていることが美徳とされている傾向があり、そこから少しずれていたりしたら、袋叩きにしていく。

 

『自分はしっかり守っているのに!お前だけずるい!』

こういう心理的アルゴリズムで叩くのだろうか。

 

どうして、赤の他人が設けたルールに縛られる必要があるのだろうか?

親や学校が設けたルールをいつまでも採用している必要などもうとっくにないだろう。

 

もっと、自分の感情や欲望をしっかりと見つめて、どうして心がそう欲しているのか?

これを自分自身に対して合理的に説明してみせて、自分で納得していくこと。

これしか解決方法がない。

 

先人が設けたルールはもはや古い。捨て去るほうが、これからの時代を勝ち抜くことができるだろう。